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高橋 圭司

京都市東山青少年活動センター

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掲載日:2011年9月18日

高橋 圭司 いちびり一家元座長
 「高校ぐらい出なさい。」と言っていた親が、「大学に行きなさい。」と言い出した。
パンクに魅入られ、シド・ヴィシャスに憧れていた僕は、アウトローになりたかったのに。
当時の僕は夏でも革ジャン、肩には鉄のトゲが生えていた。まさか入れる大学はないと思われたが、あった。そこは大阪芸術大学、舞台芸術学科。入試に筆記試験はなかった。本当にやりたいことが演劇だったのか、自信は持てない。今よりも夢見がちだったことは確かだが、どこまで、何を、信じていたのか。団体行動が苦手な僕が、演劇に向いているとはとても思えない。母もそう言うと思う。
 ともかく、大学に入った。入った途端、演劇は忘れてしまった。毎日毎日、下宿の友人と深夜まで騒ぎ、飲んだくれた。気楽だった。
 しかし大学2年の冬、阪神淡路大震災がおこった。明石の実家は無事だったが、淡路島の祖父母の家は全壊した。幸いケガはなかったが、その後2年半、祖父母は仮設住宅で暮らすことになる。震災から2年もの間、顔を見せに来なかった僕を忘れたまま、祖母は他界した。祖父母の家は釣具屋を営んでいて、祖母は生前、「大学行って立派になるんもええけど、商売もええぞ。」と僕にそれとなく釣具屋を勧めていたが、生返事でごまかしていた。
 もう気楽にはしていられなかった。何を、どう頑張ればいいのかもわからなかったが、あらゆることを必死にやらないと、自分が恥ずかしくて仕様がなかった。
 今現在、何かを成したというわけでもない。やっぱりどこか甘ちゃんなのかも知れない。
自分がやりたいことを、自信を持って人に言えるっていうのは、思っていたより随分むずかしいみたい。アウトローにもなれないみたい。


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