山口 吉右衛門 役者(劇団飛び道具)
実は、僕は山口吉右衛門ではありません。
時々、「本名ですか」と聞かれますが残念ながら違います。本名は浩章。別に隠しているわけではないのですが、知らない人が多いらしく、うちに来る郵便物も、請求書を除いて吉右衛門の方が多くなってしまいました。
大学二年の時に芝居を始め、今では唯一となってしまった本名でのチラシが今も部屋のどこかにあるはずです。忘れもしないその芝居の当日、パンフレットを見ると、山口吉右衛門という人が載っていて、先輩に「君のことだよ、君、中村吉右衛門に似てるから」と言われました。当時僕は芸名をつけるなんて、意味のないこと、自意識過剰、芸能人気取りかよ、と思っていたので物凄くショックでした。しかし、チラシに名前を載せるのは、それを見た人が「あいつが出てるなら観に行ってみよう」とか「あいつが出てるんじゃ観にいくのやめよう」とか判断してもらう為だから、そうそう名前を変えてはいけないと思い、結局この芸名を使い続けることにしました。
山口吉右衛門でいてみると、吉右衛門だったらどうするか、どうしたら面白いかと考えるようになりました。アルバイトを選ぶときも時給や場所よりも、内容の面白さ突飛さで決めるようになりました。また、吉右衛門なら様々なことに興味を持って自分の目で確かめるのではないかと思い、それまで見逃していた色々なことに面白味を見つけようと目を凝らすようにもなりました。まるで、物語の登場人物を考えるように、山口吉右衛門という人物の性格や心情を考えて、実際そういう風に行動するようになったのです。
今から考えると、それまでは浩章であることに何の疑問も持っていなかったせいか、自分の人生というか生き方についてなど余り考えていなかったような気がします。考えたとしても、その場の感情や疲れにかこつけて、思ったように行動しなかったことが多かったのではないかと思います。本当は浩章のときからきちんと自分の人生や、周囲との関わり方を考えて怠けず行動できればよかったのですが、吉右衛門というありもしない人格を作るのに一生懸命になることで、ようやく、自分の人生は自分で作るのだ、という当たり前のことを考えるようになれた気がするのです。
ただ、それから何年かして、名づけてくれた先輩に、「君、何で吉右衛門なんだっけ?」と聞かれ、「先輩が付けた」と答えると、「嘘だ。全然中村吉右衛門に似てないじゃん」と、言われ、そんなことなら、もう少しカッコイイ名前が良かったなあと思ったことも付け加えなければならない事実なのです。
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