分岐点

ハラダリャン

更新日:2011年09月18日(日)

ハラダリャン 一人芝居
 「ブルースリーの黄色いのんてどこで着るねん?」それが路上ライブをしたきっかけだった。その頃私はまだ劇団活動をしていて四人の仲間たちがいた。我々は全員ゴールデンハーベスト社の映画が大好きだった為、只々「着たい」という理由だけで黄色い衣装を南京街で購入し「使い道が判らない」ので「路上ライブやったらええやん」のノリで後日再びヌンチャク等を持って集まった。そしてまさかこの馬鹿げたヒーローごっこが現在の私の一人芝居に大きく影響を与えているばかりでなく、一人芝居そのものをやろうというキッカケになろうとは知るよしもなかった。路上初日の事は鮮明に覚えている。ミナミのひっかけ橋を、かぐや姫の神田川を唄いながらねり歩くという前衛的なギャグゲリラをかまし、大丸前に居座ると、弾けないギターと踊れないダンスとはじけきれないトークで人高りができた。その後、数十回に渡って劇団を解散する日までギャグゲリラは続けられた。大学の学祭にも呼ばれた。ヒーローごっこは着実に「芸」として成長していった。だが四人のそれぞれの役割も確立してきた辺りから異変が起こった。なんと「飽きて」きたのだ。路上も劇場も。明らかにデカダンスな空気が流れた。そして、私は一人で路上に立った。もう逆デカダンスなのは自分だけだ。何をする?「考えるな感じろ」と云うブルースリーの名言が頭をかけ巡る中、私はごく当たり前に「ハラダリャンです」とネタを始めていた。この瞬間から心臓に毛が生えた私は、「ハラダリャン」として一人で舞台に立っていこうと決断した。ノリではなく、本気だった。「必要な時に必要なものがやって来る」というインドの諺通り、その直後に決まっていたライブイベントにメンバー全員バイトで出れず、一人で参加する事になった。更に京都のアトリエ劇研で行われている試演会にも一人で応募した。どちらも、それまでのどの舞台よりも反応が大きかった。その年、劇団は自然に解散した。
 ハラダリャンは劇場も路上も一人でやるようになった。「身ひとつ」というのは便利なもので、だから私は大抵のイベントには、飛び入りでも参加を許された。「明かりインで出てきます、はけたら消して下さい」どこへ行っても打ち合わせは五秒ですんだ。お陰で周囲にいる知り合いの劇団よりは遥かに多くの舞台を踏む事ができた。あの一人で路上に立った日から丁度三年。「そろそろ」と石のぬくもりをやや疑いつつも、ここ東山で初の一人芝居本公演を行った。観客は多くはなかった。然し手応えはあった。元メンバーの一人が観に来てくれてこう云った。「これでいけ」と。あのヒーローごっこを共にやった仲間が判を押してくれた。「一人でいこう」再び確信した。

P.S.不安になった時は路上に立つ。油断してると心臓の毛は、すぐ抜ける。

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