ずっとずっと美術が好きでした。
将来の夢は「画家」。アンディ・ウォーホルに惹かれ、現代美術に興味を持ち、進学はもちろん美大。
美術に身を置くことが「すばらしいこと」と思っていました。
私は、今、宇治川の鵜飼で鵜匠をしています。
分岐点は、26歳。
アシスタントをしていた写真家の先生が言った一言、
「宇治の女性鵜匠、人気やな。」
鵜飼は世襲制で男子のみ。
それなのに、宇治川では女の人が鵜飼をしている?
美術に興味を持つ以前から、鵜飼のことは知っていました。
私が生まれ育った岐阜県岐阜市長良は「長良川鵜飼」で有名なまちです。
1300年の歴史があり、夏の鵜飼シーズンには沢山の観光客で賑う。
橋の上から川底が見えるほど透き通った長良川と、幻想的な鵜飼。
鵜匠は、鵜飼で捕れた鮎を天皇家に献上する「宮内庁式部職」で、その技を一子相伝で繋ぐ世襲制。
私にとって鵜飼は、自慢すべき故郷の誇り、鵜匠は手の届かない存在でした。
美術以外に興味はなく、やりたい仕事も特にない。
そんな私の進路について、先生は、色々と考えを巡らしていましたが、
私がつくるインスタレーションが評価されるわけでもなく、
仕事に繋がるような写真やデザインのスキルは一切持っておらず、他のことに興味を示さない・・・
その私が、初めて反応したのが「鵜飼」だったのです。
たまたま話題に上がった女性鵜匠の話しに、驚き、「私もやりたい」と言いました。
先生は、翌年の夏、宇治川の鵜飼見学に連れて行ってくれました。
そして、鵜飼をやりたい、という私の後押しをしてくれたのです。
先生の一言がなければ、宇治川の鵜飼を知る事はありませんでした。
長良で生まれ育たなければ、鵜飼に興味を持つこともありませんでした。
女性鵜匠が活躍していなければ、鵜飼をやりたいと思うこともありませんでした。
順調に作品をつくっていたのなら、鵜飼に惹かれることもありませんでした。
先生に出会わなければ・・・「江﨑ちゃん、鵜飼は面白いよ。」と言ってくれなければ・・・
タイミングと背景と状況と、もろもろの要素がぴたっと合いました。
翌年、私はアシスタントを辞め、最後の個展を開き、6月からの鵜飼シーズン、
鵜匠見習いとして、鵜舟に乗りました。
それから12年。
宇治川の鵜飼は、変化し続けてきています。
その変化を受けとめ、伝統と新たな試みを進める。
これから、もっともっと宇治川の鵜飼は面白くなってきます。