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江﨑 洋子

京都市東山青少年活動センター

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掲載日:2018年1月29日

ずっとずっと美術が好きでした。
将来の夢は「画家」。アンディ・ウォーホルに惹かれ、現代美術に興味を持ち、進学はもちろん美大。
美術に身を置くことが「すばらしいこと」と思っていました。

私は、今、宇治川の鵜飼で鵜匠をしています。

分岐点は、26歳。
アシスタントをしていた写真家の先生が言った一言、
「宇治の女性鵜匠、人気やな。」

鵜飼は世襲制で男子のみ。
それなのに、宇治川では女の人が鵜飼をしている?

美術に興味を持つ以前から、鵜飼のことは知っていました。
私が生まれ育った岐阜県岐阜市長良は「長良川鵜飼」で有名なまちです。
1300年の歴史があり、夏の鵜飼シーズンには沢山の観光客で賑う。
橋の上から川底が見えるほど透き通った長良川と、幻想的な鵜飼。
鵜匠は、鵜飼で捕れた鮎を天皇家に献上する「宮内庁式部職」で、その技を一子相伝で繋ぐ世襲制。
私にとって鵜飼は、自慢すべき故郷の誇り、鵜匠は手の届かない存在でした。

美術以外に興味はなく、やりたい仕事も特にない。
そんな私の進路について、先生は、色々と考えを巡らしていましたが、
私がつくるインスタレーションが評価されるわけでもなく、
仕事に繋がるような写真やデザインのスキルは一切持っておらず、他のことに興味を示さない・・・
その私が、初めて反応したのが「鵜飼」だったのです。

たまたま話題に上がった女性鵜匠の話しに、驚き、「私もやりたい」と言いました。

先生は、翌年の夏、宇治川の鵜飼見学に連れて行ってくれました。
そして、鵜飼をやりたい、という私の後押しをしてくれたのです。

先生の一言がなければ、宇治川の鵜飼を知る事はありませんでした。
長良で生まれ育たなければ、鵜飼に興味を持つこともありませんでした。
女性鵜匠が活躍していなければ、鵜飼をやりたいと思うこともありませんでした。
順調に作品をつくっていたのなら、鵜飼に惹かれることもありませんでした。
先生に出会わなければ・・・「江﨑ちゃん、鵜飼は面白いよ。」と言ってくれなければ・・・

タイミングと背景と状況と、もろもろの要素がぴたっと合いました。
翌年、私はアシスタントを辞め、最後の個展を開き、6月からの鵜飼シーズン、
鵜匠見習いとして、鵜舟に乗りました。

それから12年。
宇治川の鵜飼は、変化し続けてきています。
その変化を受けとめ、伝統と新たな試みを進める。
これから、もっともっと宇治川の鵜飼は面白くなってきます。


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