奥村 朋代 舞台音響家
高校生の頃、私は音楽とお笑いが大好きで、よくライブに通っていた。
もちろんお目当てのバンドやタレントを観るのも楽しかったのだが、その裏で支えるスタッフワークにも興味を持つようになった。特に興味を持ったのが、音響と照明で、音楽や効果音に合わせて明かりが自由自在に変化するのが観ていて楽しかったのである。そのうちに、将来はステージの裏で仕事をしている自分を想像するようになっていた。
高校卒業間近の1995年1月17日。その日、私は希望する舞台技術の学べる専門学校への入学願書を出すために、高校へ内申書をもらいに行く予定だった。だが願書は出せなかった。阪神淡路大震災が起こったのだ。
家族こそ無事だったが、自宅は全壊。両親から進学は断念するよう言われた。少ない選択肢から、美容師見習いとして就職することにした。
それから5年目の春。美容師免許も取得し、更に技術を身に付ける頃だった。
親には「なんで?」と言われたが、美容師を辞めることにした。体調を崩したというのも理由の一つだが、何かをやり残しているような、心にぽかんと穴が開いているような気がしたのだ。
休養を兼ねて、フリーターをすることにした私は、ある日、雑誌に載っていたある記事を見つけた。『伊丹アイホール演劇ファクトリー受講生募集中。芝居のイロハの“イ”から一緒に始めましょう。』
一度は舞台の世界へ行きたいと思い、そして断念せざるを得なかったことを思い出した。
「何もしないで後悔するぐらいなら、やって後悔しよう。」
そうして、私は舞台の世界へ足を踏み入れ、この講座で知り合った音響家の元で舞台の現場 を学び、縁あって京都へやって来て、現在に至るのである。
私は、現在の環境になるまでにかなり遠回りしてきたと思う。
でも、美容師でやってきたことも、フリーターでバイトをしてきたことも、今、すごく生きる糧となっていると感じている。仕事の内容は違うけれど、社会人としてのマナーや常識はどこに行っても変わることはないし、接客業をしてきたので人との関わり方も自分なりにはなんとかうまくやっているように思う。
遠回りしたけど、焦らずゆっくりやってきて良かったと思う。
これからも、焦らずゆっくり生きていこうと思う。
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