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葛西 健一

京都市東山青少年活動センター

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掲載日:2011年9月18日

葛西 健一 舞台照明家・役者(劇団クセノス)
演劇を始めて20年以上になる。「長いなー」と人に言われる。でもこの20何年かの内10年程は強い意志を持って芝居を続けていたわけではなく、それこそ「ただ居続けた」だけの10年だったように思う。
小学生の頃、弟と一緒に児童劇団に入れられた。弟はすぐ辞めたが、僕は何となく劇団に残り、そのまま居続けた。舞台で役者をして「目立てる」のが嬉しかったのもあるし、年の違う高校生や大人達の中に混じって遊べるのが(稽古なのだが)楽しかったのもある。そのうちに僕も高校生になり面倒を見てもらう方から見る立場になって、初めて「演出」というものをする事になった。その劇団は高校生や大学生が中心になって稽古を進めていたので、高校生で演出というのはそんなに早い方ではなかった。むしろ同年代の中では遅い方だったように思う。僕は役者だけをやっている方が好きだったので、正直荷が重かった。(実はその何年か前に絵本を脚色して演出するはずだったのだが、稽古がうまくいかず、結局台本を書き上げる前に公演中止にしてしまったことがあった。)今度は失敗できない。僕はガチガチに気負って稽古に臨んだ。しかし初演出というのは本当に難しい。ダメ出しで何を言ったらいいのか分からない。稽古を見ていても止めることが出来ない。結局最後までだらだらと通してしまう。そうすると大した事が言えないまま稽古時間が終わる。見兼ねた大学生が横から「こうしたら良いんちゃう。」と口を出してくる。段々と役者達はその大学生の言う事を聞くようになって、僕の言う事を聞いてくれなくなる。悔しくて帰り道に友達に愚痴る。「俺、…ボブギャラリー無いからな…。」「…ほんまに無いわ!」次の稽古の時、「ボブ」というあだ名が広まっている。恥ずかしいから自らネタにする「ボブからのダメを聞け…。」
しかし散々な稽古(実際に散々だったと思っているのは僕だけだったかもしれないが。)も進み、本番が近づいてくる頃には芝居もある程度形が出来てきて、僕もようやく色んな事が言えるようになってきた。そして衣装や曲を決め、照明のイメージを決めたら、その作品はたくさんの人の力を経て、ゆっくりとだが確実に「僕の作品」になっていった。そして無事に本番が終り、カーテンコールでお客さんの前でお辞儀をし、顔をあげた時には「高校卒業しても芝居をしよう。」と決めていた。きっとあのまま役者だけをしていて、責任のないポジションで「楽しい」だけだったなら、きっと「もっと楽しいこと」が見つかった時に芝居をやめていたと思う。(責任感のある役者もいるが、僕はそうではなかった。) でも「自分の作品」を持った時のあの昂揚感、それを稽古し 、色んな人と作り上げた充足感、それを客の前でやり遂げた達成感、それらが色んな分岐点で僕を演劇の方に運んでくれたのだと思う。


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