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杉山 準

京都市東山青少年活動センター

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掲載日:2011年9月18日

杉山 準 演劇プロデューサー
会社を誰にも相談せずに辞めた。勤めて1年だった。営業ノルマはしんどかったし、満員電車もうんざりだった。一緒に演劇した仲間は演劇を続けていた。練習に顔を出すとみんな信じられないくらい上手くなっていた。そして、楽しそうだった。世間は「バブル景気」に沸いていて、「今なら取り返しがきく」そう信じられた。会社には「教師になるので辞めます」といった。知らせを聞いて両親は血相かえて長野の田舎から飛んできた。「演劇をしたいので会社を辞めた」と初めて両親に告げると、父は激怒し、母はあまりの事に言葉を失った。「ばかなことはやめろ」と説得された。「世の中そんなに甘くない」と。「後にはひかぬ」と意地をはった。根拠はなかったが、ここで意地を見せねば自分を失う気がした。動かぬ息子に、両親はただ呆れ悲しんだ。
 学生時代に住んでいた安下宿「みどり荘」に舞い戻って、アルバイト生活が始まった。お金と時間は全て演劇に注ぎ込んだ。下宿のゴミ出しをして家賃をまけてもらい、彼女に食事を喰わせてもらってしのぐ生活となった。月日はどんどん流れた。8年があっという間に過ぎ去った。後輩が置いていった炊飯器で飯だけは炊いて食べていた。学生時代「俺みたいな無精者だと、毎回食べきらなきゃならないのじゃだめだから、これもってかない」彼のくれた炊飯器には、かびで色とりどりになったご飯の山が入っていた。後輩はソニーに入社し、すでに結婚して横浜に居た。私は今だみどり荘に居て、彼のくれた炊飯器で飯を炊いていた。炊いただけ食べてそのつど釜を洗っていた。


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