私は現在、俳優として舞台に立ちながら、ダンスや歌も教え、
演技指導や振付けをする事もあり、パフォーミングアートの世界で幅広く活動しています。
そもそもミュージカル俳優を志していたため、ダンス、歌、お芝居とも学ぶ必要がありました。
今の様な活動ができるのも、その事が大きな理由だと思います。
今思えばここに至るまでには、悔しい思いもたくさん経験してきました。
なかなか思う様に活躍できない期間が続き、演劇生活に終止符を打つ事を考え始めました。
そして、止めるなら最後はやりたかった事をして終えようと、
長年の願いだったアメリカへの演劇留学を決めました。
周囲は私のブロードウェイミュージカル好きをずっと見て来たので、
その夢を追って行くのだと思っていたと思います。
しかし、私の想いは周囲の予想とは違っていました。
その証拠に、ミュージカルの勉強ではなく、お芝居を学びに行く事を選択しました。
反対もありましたが、その時所属していた演劇団体を退団し、
仕事をしながらアメリカの大学へ入学するため、一年間一生懸命英語の勉強を始めました。
教えていただいた先生のおかげで、始めのTOEFLのスコアからは考えられない程の成長で、
何とか志望校へ出願できるスコアへ伸ばす事ができました。
せっかく、最後に大金をかけて留学するのだから、
良い教育を受けて全力で学びたいと思っていました。
第一志望にしていた大学の演劇学科は、多くの活躍している俳優を排出しており、
良い講師陣をそろえ、俳優を育てるためのカリキュラムもしっかり組まれ、
設備も整っていて、ここしかないと思っていました。
しかし、その大学は最終試験で落ちてしまい、その時は行き場のない想いでいっぱいでした。
第二志望の大学には受かっていましたが、なぜかそこへ入学するのには迷いがありました。
その時、ニューヨークの演劇学校を設立した先生を思い出しました。
もちろんアメリカ人の先生で、来日された時に先生のワークショップを受けた事がきっかけで知り合いました。
先生は一日にして私の才能をひらいた先生でした。
先生も感激されワークショップの後、すぐに学校へ入学の手配をして下さいました。
しかし、その時は経済的理由で行けず、そのチャンスを逃していました。
思い出したその勢いでニューヨークに住む先生の自宅へ電話し、
改めて受験させて欲しいと日本人なまりのひどい英語でしたがお願いし、試験を受け入学が決まりました。
その学校の先生陣は才能あるアーティスティックな先生ばかりで、
それぞれの演技理論のスペシャリストでした。
そのため、心と体をつなげるトレーニングや、俳優のための声のトレーニング等、
俳優にとっては基本となるトレーニングから、有名なシーンを使って応用していくクラスまで、
充実した教育を受ける事ができました。
また、学校がマンハッタンの中にあり、ブロードウェイのショーが見れたり、
パフォーミングアートに特化した図書館があったり、プロを目指している生徒でもみんなレベルが高く、
周囲の環境も私のを高めるのに良い方へ働いたのだと思います。
始めは英語にも苦労し、生活でも慣れない事ばかりでたいへんな事も多かったですが、
周りの心あるサポートにも恵まれ、一年後には奨学生に選ばれるほど、成長する事が出来ました。
そして、現在も一度は止めようと思ったパフォーマンスを続けて、舞台に立っています。
運良くも第一志望の学校に落ちた事が私の分岐点になりました。
和田ちさと(パフォーミングアーティスト)