辻野 恵子 主婦・役者
二十代後半、半年間引きこもっていた。何もやる気がせず、ほとんど人にも会わず、ただ生活費だけを稼ぎ、あとは寝ていた。それまでの私は大学時代からずっと、かなり精力的に芝居を続けていた。でもいつもあせっていた。家族の強硬な反対にあい、行きたい東京に行けなかったからだ。しかしいつか行くぞとお金をため、晴れてその日を迎えた時、東京の奴らに負けないよう片っ端から習い事をし、年中舞台に立っていた。 でも、いつまでたっても東京へは行けなかった。家族は反対し続けていたし、私自身も強硬突破してまで行く勇気がないまま月日が流れていた。「これはほんとの私じゃない。ほんとの私は東京の舞台で脚光を浴びているはず。」バイトがいやな時、家族とうまくいかない時、気に入らないことがあるといつもそう思った。地味で平凡な今の自分の生活を受け入れたくなかった。 次第に東京は私の中でユートピアに変わっていた。一方やりたかった演劇は義務に変わっていた。「東京に行けばすべてが解決される。」でもそれが幻想だということもうすうす感じていた。だから行くのは実は怖かった。今思えば行けないのではなく、行かなかったのだと思う。 寝てばかりいた半年間に私は自分が平凡でくだらない人間であることを少しずつ受け入れはじめた。最初は辛かったが、そうするうち人とも話せるようになり、以前より人と向き合い、尊重できるようになった。避けていた演劇、表現についても徐々に考えはじめた。 私にとって何なのか。本当に必要なのか。やりたくなるまでやらないと決めた。 あれから八年たった今、私は活動を続けている。どうやら表現は必要だったらしい。「ものづくりは日常にある。」今の私はそんなふうに考えている。ものをつくることはものと向き合うことだ。つくる過程に関わる人達、起こる問題に真剣に関わることだ。だからつくり手は、日頃何事かに向き合うことが多いだけ、作品を深めることができる。それは表現に関することじゃなくてもいい。友達と真剣に話す、バイトを真剣にする、そういうことがすばらしい。「舞台はその人の氷山の一角でしかない。だから水面下の氷山を大切にしよう。」そう思ったら生活が無意味でなくなった。楽しくなった。表現もやりたくなった。ユートピアになんて行かなくていい。そんなところに行かなくても、楽しいことはいっぱいあるから。
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