エディ・B・アッチャマン 会社員・コント役者
分岐点も何も、私は今もずっとサラリーマンを続けています。
作家故林広志が、MONOの土田英生、水沼健らとコントユニット「ガバメントオブドッグス」を結成し、第一回ライブを行なった時、私は入社一年目で客席で笑っていました。
故林とは幼馴染で、学生時代にはイベントでコントをやったりした仲です。
彼は私が就職を決めた頃、コント劇団の旗揚げを決意し、MONOを含めたいくつかの劇団
に対してスカウト活動を始め、「笑いで生計を立てる」夢を現実にしようとしていました。
ただ、彼にはそうして集めた役者達に自分の生み出す笑いを正確に理解させる事に手間取っており、共通言語を持つ私を第二回ライブから誘ってくれました。
第一回ライブで故林の台本を生き生き演じ、笑いをとっている彼らと同じ舞台に立ってみたい! 何よりも学生時代より数段レベルの上がっている故林の台本を演じてみたい!、と思っていた私は、勤務地が京都に決定した事もあり二つ返事でその誘いを受けました。
故林同様私も演劇経験はなかったのですが、小さい頃から聞いていた落語が役にたち、笑いの間、手法は何となく身についており、演劇的な要素は他の役者の見様見真似で、実践のみで他のメンバーと競争しながら勉強していきました。
その頃から私は役者と呼ばれ始めました。
ガバメントに参加した当初は、私が働きながらでもライブが出来る事を条件にスタートしたのですが、動員が増え、客演に呼ばれ始めたあたりからサラリーマンであることが障害となり、活動を縮小せざるを得ませんでした。はじめから会社を辞める事は全く念頭にもなかった私ですが、プロの方々と芝居をするわけですから、素人の私は常に引け目は感じていました。本番前日、東京出張から遅れて小屋入りしたら、ゲネが私待ちでストップしている・・・! といった事もありました。
平日の夜と土日、祝日、GW、年末年始しかあかない体で、受けた芝居は期待された以上の演技で精一杯演る。役者で生計をたてていない私にできる事はこれだけです。