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河瀬 仁誌

京都市東山青少年活動センター

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掲載日:2011年10月14日

河瀬 仁誌 脚本家・演出家・俳優(劇団ZTON代表)

 私にとっての分岐点は、学生劇団時代の本公演で初めて脚本・演出をやらせてもらった公演であると思います。
ちょうど、新入生歓迎公演でした。

 当時の僕はというとまだ、大学の3回生で途方もなく巨大な演劇の扉の前を行ったり来たりしていました。
『声優』になりたいと一角の希望を持ち入所した声優養成所は、レベルの低さにガッカリして、
「コネクションのためだ」と分かっていても、自分のモチベーションはぐんぐん下がり半年で辞めてしまいました。
『俳優』としての活動も、京都同世代の俳優たちよりどうにも注目されていない気がして、
「プロになりたいのに、こんな所で1番も取れないんじゃ‥‥‥」と悲観的だったと思います。
演劇に関わって生きていきたいと思っているのに、何もかもうまくいなかったわけです。
「じゃあ、演劇を辞めて普通に働く道を選ぶか?」と問われると‥‥‥煮え切らず悶々としていました。

 悶々とした大学3回生の春、学生劇団の新入生歓迎公演で『脚本・演出』をすることを、
僕が演劇に関わるラストチャンスと位置づけることにしました。
才能がないのにうだうだしているのは嫌いですので。
学生劇団の新入生歓迎公演は、新入生を演劇の世界に魅了して
学生劇団に入団させる大事な公演あったりします。
この公演で演出をして、新入生が全然入団しなかったら、
「僕の演劇はおもしろくない」ということが立証されるわけですから、演劇活動は学生で終わり。
そういう気持ちで脚本・演出に臨みました。
かと言って演劇作りも、広報活動も特別に何かしたわけでもありませんが、
「絶対おもしろいんだ!やってやる!」という気持ちだけは強く持っていたと思います。

 すると、その公演を見て新入生が学生劇団にたくさん入団してくれました。
入団理由は、「おもしろかったから」「カンパニーの雰囲気がよかったから」の2つくらいでしたが、
例年の倍以上新入生が演劇にハマッたわけです。
そうして、何かいい気分になっちゃったんでしょう、その新入生歓迎公演をやったカンパニーで、
秋に旗揚げしたのが劇団ZTONという形になります。
酒を飲みながら、やる? やっちゃう? のノリで作ったので詳しい経緯は覚えていません。
駄目な演劇人代表です。それ以後、脚本・演出をメインにやっています。

 そこから、僕らは演劇を「やるか」「やらないか」。
選択肢をひたすら「やる」方だけに進めて、ここまで来ました。ハムレットみたいですね。

 僕が脚本・演出をした卒業公演時には、演劇でやりたいことを全部詰め込んだ公演を行ない、
学生劇団ながら800人弱の集客を動員したり、ファンの方々にお花をもらったりして、
確実に「演劇をやる」という意思を明確にさせてくれました。
「やらない」って選択肢は置いといて、やりたいことをとことん「やる」のが
いいことなんじゃないかと勝手に悟っています。もちろん、強い信念を持って。


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