分岐点

藤原 大介

更新日:2011年09月18日(日)

藤原 大介 役者・演出家(劇団飛び道具)
何となくこの辺り、と焦点を絞りきらないままに生きてきた。たぶん今も変わらない。物心がつく前より、母の趣味につきあわされて月に一度は映画館に通っていた。気づくと自分も映画好きになっていて、毎夜テレビで放映される映画を観て、レンタルビデオ店が家の近所にできるとビデオを借りてきて映画を観るようになった。将来は映画を作る人になろうといつのまにやら決まっていた。小学校の卒業文集に将来の夢は「映画のスタッフ」と書いてある。今ひとつピントが定まらない。なぜ「映画監督」と書かなかったのか。そうは思っていたものの中学生の時は野球部だった。高校に入っても野球を続けようと思ったが、丸坊主にするのが嫌で「似たようなもんだろう」と男子ソフトボール部に入った。ちなみにこのクラブは僕のような半端物の集まりだったが、意外と強かった。中高ともクラブ活動をしていながらも、映画好きは相変わらずで、頻繁に映画館に通っていた。大学受験ではいよいよ映画の道に進もうと映画科を受験したが面接ですべった。浪人を考えないわけでもなかったが、「まあええか」と先生の薦めで受験した立命館大学に入学した。大学では映画部に入ろうと思った。しかし演劇サークルが活発で面白そうだったので、「似たようなもんだろう」と演劇サークルに入った。そして芝居にのめり込んでしまった。授業もろくに出ず、日々芝居に明け暮れた。将来は演劇をやっていこうといつのまにやら決まっていた。同級生が就職活動を始めるころになって、やはり少し躊躇した。とりあえず就職活動だけでもしてみようかと思った。手始めにスーツでも買おうかとしていたところに芝居仲間に「役者が足りないので出てくれ」と頼まれた。自分の生きてきた中で分岐点らしきものはここかと思う。頼まれて答えた。「僕は今から就職活動を始め、前途洋々たる未来を勝ち取らねばならない。しかしここで公演に参加すると競争に出遅れてしまう。ついては君は僕の人生の責任をとらなければならないが、それでもよいなら参加する。」「うん。分かった。」彼はふたつ返事で僕の人生を請け負った。自分の人生の軽さにちょっとしたショックを感じながらも「まあええか」とその公演に参加し、その後就職活動はせず、その彼と劇団を旗揚げした。今も一緒に芝居をしているが、彼からは他人の人生を背負っているプレッシャーは感じられない。自分のこれまでの生き方を振り返ってみるに、大事なところでいい加減に決断してきたようである。これからはもっと強く意志を持って生きていこうと思う。でもまあそんなに急には変われないか。

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