これまでの中で一番「迷った」と思われる高校時代のことを。
高校では美術部と放送部に入っていました。美術部ではおもに油絵を描いて、
放送部ではドキュメンタリー的な番組を作って大会で発表して。
部活動が楽しくて、放送部では全国大会で賞をもらったりもして、
なかなかに充実した高校生活だったのですが、気がついたときには
3年生の夏も終わりそうな頃で、進路について焦りだしました。
進学したいけどどんな大学が良いかわからない。自分の学力でも入れそうな
大学を偏差値順に並べて受験しました。最初に受かったのが品の良さそうな女子大学で、
受験した中で偏差値が一番高いところでもあって、さっそく親に入学金を振り込んでもらい、
暮らすアパートも決めました。
そのあと、もうひとつの合格通知が届きました。演劇を学ぶところでした。
それまで文化祭くらいでしか触れたことがない。なぜそこを選んでいたのか・・・、
部活動をとおしてチームで作品を作ることの楽しさを知って・・・、
芸術というものへの憧れがあって・・・、ということはあったかもしれないですが、
「文学」「演劇」「美術」どれにマルすっかな、
くらいの軽い気持ちで選んだうちのひとつではありました。
ただ、楽しそうやな・・・、とは思ってた。
すでに入学金も払っているんだからと、先の大学への進学を決めんとしたとき、
美術部の顧問の先生に呼び出され、彼女から「あなたには下駄を履いてでも通えるような、
自由に生活できる大学が合うと思うよ」と言ってもらいました。
親でもない大人が我が家の経済状況顧みず、自分をしっかり見て意見してくれる。
それがうれしかったし、信用したいと思った。言わなくても良いことを言いたくなるくらい
今せんとしている選択は大きなことなんだろうとも思った。
悩んで考えた結果、自分の「楽しそう」という思いを信じて、その夜、
親に「もう一回入学金を払ってほしい」と頼みこみました。
その大学で学び、卒業して20年以上経った今も演劇に携わっています。
あのとき違う大学に通っていたら、また違う人生だっただろうなと思います。
そっちが良かったかもしれない。だけど20年以上経った今もけっこう楽しい。
だからあのとき、真摯に意見を言ってくれた先生には感謝しています。
ちなみに放送部の顧問の先生からは、「おまえは表にでる仕事に就こうと思うなよ」
と言ってもらったことがあります。自意識過剰だった私に苦言を呈したのかもしれませんが、
おそらくは不細工を指摘されたわけではなく「もっと向いている仕事があるぞ」
と言ってくださったんだろうと思います。
それを見つけて今があります・・・、というのはまあちょっとどうかと思いますが、
すてきな大人たちとの出会いで今がある、と思えます。
垣脇純子【演劇制作】