橋本 裕介 プロデューサー
私は大阪の郊外に育ったテレビっ子なんだが、そんな事情で今日まで大きな選択もせずのんべんだらりとテレビの前で生きてきたものの、青春時代を過ぎる頃から誰も他人の歩む道など決めてくれなくなるので、仕方無く自分で選択する機会が増えてきた。
毎日がプチどきどきである。
一度に大きな選択が出来るほど度胸も無く、為すに任せて生まれた小さなズレの累積で結果的に随分変な道に進んでしまった。とはいえ、敢えて分岐点らしいものを探すと、大学に入学して始めた一人暮らしにあるかもしれない。何せ実家が近いので両親共に「ままごとだ」と嘲られ、それでも少ない所持金でやりくりすべく、平成の世から一気に昭和の時代にタイムスリップしたような不便な生活を送ることになった。とりわけ不便だったのが(有るだけまし)家の外に出て種火を着けないと沸かせない風呂(たまに隣のおじいちゃんとパンツ一丁同士で遭遇したりする)と、拾い物音声のみ手動チャンネル(ガチャガチャ)テレビである。時間節約のため京都暮らしを始めたのに、家事にその多くを割き本末転倒な結果となったが、なかなかどうしてこれが有意義で、特に大きく変化したのが対テレビ認識である。「無けりゃ無いでいい」ということで、青春時代の多くの時間をテレビに費やした自分を恥じると共に、無いなら代わりに自分で娯楽を作ってみようということで演劇を始めた。
青春時代が存外につまらないのは若者とテレビの癒着関係にあると思い至り、それを嘆き、もっと愉快なことがあるはずだと演劇を通して訴えてきたのだが、根がテレビっ子の私はいつの間にか演劇とテレビに共通する「ある匂い」にやられて現在テレビにも興味津々である。
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