岩村 原太 照明家
光と仕事をして約15年が経ちます。ですから学生時代に光と出会ったことが、すなわちぼくの分岐点と言えそうです。
当時から舞台照明の仕事を続けていますが、これは「見る」という行為を支える姿勢と「見せない」配慮が求められる仕事です。光を選び,照らし、点け、消し、一つひとつの作業をじて人や物をまず存在させ、次にその存在の意思を見る人に伝え、さらに見る人の内側にその意思の理由が残らなければなりません。そうしてようやく見る人が見ている人や物を見たと感じる。上手な照明は舞台と客席に同じ時間と空間を共有させ、人や物をよりよく見せる働きをする。しかし,見る人の見る行為は支えられても意思は操作できないということを、劇
場で働きながら学びました。美術館や音楽堂の作業が難しいのはなおのことで、どんな光ででも照らされてしまえば、人はそこに何かを見ようとしそして何もかも見てしまう。人や物の存在全てを偽ることも創ることも不可能で、こうして「見る」 ための照明設計の最終的選択は「見せない」逆説的手段だけとなる。照らさないことも仕事なのです。
「見る」というのは自分と対象の関係のうちに働く存在の感覚なのかもしれません。光ははその感覚全てに圧倒的な支配性、影響力を発揮します。照らさないことで他の対象の存在を強め、「見せない」ことでなお印象的にその存在を示す。光の色や形で世界の存在の感覚を左右できるということです。
光がないと見えない、それどころか見えない何かを光が見せる体験、ぼくの光との出会いはそんな感じでした。もともと音楽を志向していたり美術を専攻したりの末に自身の表現の素材として光にたどり着き舞台照明の勉強を始め、その頃、もっと物質感のない、透明感のある、何よりそれまで知らなかった、光の色と形を見たのです。このときに光と出会ったんだと思います。
昼の短い寒い季節、夜も空けるまでまだ間のある野外劇場での準備中、突然山肌を這って、濃い霧が会場に流れ込んできました。白い霧の粒が金色の光芒の中を渦巻き、藍色の深闇に漂い消えていきます。淡い波間を縫うように黒い地面や明るい背景が見え隠れし、息を呑む、立ちつくす。自分は混沌としていて立場も状況も混乱した精神的若者的修羅場、そこからの出口もいくつもあって、が、行先がないので出口を選べない、光の怖いほどの美しさ、闇の深さ、浮かんだ時間、空間の捉えどころのない広がり、行先に最も近い出口が分かってから出発したい性分なのに耐え切れなくなって、ともかく、自分を探すことにして脱出を図った、という体験。知らないものを見たショック。
結局それが舞台照明の道に進むきっかけでした。光の仕事の広さと深さは予想以上で、光を素材としてだけとらえるとことはいよいよ間違いだと感じています。音に生命を聞くように、光にも息吹を見出す。毎日の暮らしは光に溢れています。