学生劇団では舞台班と呼ばれる人達はなぜか四六時中部室におり、
いつでも何かを作っていたような感覚がありました。
かといって舞台美術が楽しくて仕方がなかったというわけでもなく、
いつも自分達は割を食っているというような愚痴を言っていた覚えがあります。
ところがどうしたことか、上回生になる頃には社会に出る前に
一度専門教育を受けてみたいと思うようになっていました。
そこで自分でも名前を知っているウエストエンドかブロードウェイに
行こうと思い立ち、(イギリス英語の方が聞き取りやすかったので)
イギリスはロンドンへ。
半年は留学先の大学で過ごし、半年は現地の美術家のアシスタントをしました。
大学では単位の関係で演劇科の取れるクラスを全て取りましたが、
実のところ役者、演出としての訓練が半分以上を占めていました。
たまたま母校のOBの方が現地で舞台美術家として
活躍されている事を知っていたので、お会いしていくつかアドバイスを頂ける事に。
曰く、「舞台美術なら演劇科に通うよりも美術大学に行った方が話が早い。」との事です。
なるほど。
ただ、それよりもアシスタントをしたり現場の見学をする中で、
「10人舞台美術家がいれば10通りの方法がある。」という
当たり前の事を体験して来られた事が助かりました。
絵が描けない美術家も、模型が作れない美術家も、仕事のある人はいる。
留学中にこちらの大学を卒業してしまったのがいけなかったのか、
就職するタイミングを逃したうえ、何回か舞台美術をさせてもらう
機会と時間ができました。
そのうちに場所がなければ、車がなければ・・・、
など徐々に環境を作ってしまい現在に至ります。
・・・何だかんだと書いてまいりましたが、
ロンドンで観たオペラ座の怪人が頭から離れないのです。
舞台美術家 竹内良亮