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29. 【合わせ撚糸(ねんし)】 西村 泰一さん

更新日:2014年09月13日(土)

西陣ひと・まち・もの語り29

2014年8月7日

「撚糸(ねんし)に携わって65年、だからこその思い 」

西村泰一さん【合わせ撚糸業・伝統工芸士】

 

西陣ひと・まち・もの語り第29回目は、西村撚糸の経営者、西村泰一さんにお話を伺いました。西村さんは、西陣織の作業工程の1つである「合わせ撚糸」という、織屋さんの注文に合わせて糸に撚り(より)をかける仕事をされています。撚糸をしない生糸はとても細く、その状態のままでは織物をすることが出来ず使い物にならないので、合わせ撚糸の工程では、生糸を何本か束ねて一本の糸に引き揃え、その糸をねじることで糸の太さや強度を調節します。仕事場ではたくさんの、木や鉄で出来た昔ながらの機械が常に動いており、その風景や音を通して伝統工芸を身近に感じることが出来ました。

西村さんが撚糸の仕事を始められたのは、昭和23年に遡ります。戦時中は疎開先の海軍の火薬庫で働いておられました。そこで科学の面白さを知り、一度は大学の商業科に進んだものの、理工学部に転向されました。そこで学んだ力学や物理学は今の仕事にも活きているそうです。その後、元々織屋さんだった今の土地を購入され、兄弟6人で機械2台からこの仕事を始められ、65年続けておられます。西村さんは、「苦労もしたけれど、当時,戦争の影響で質より量が優先だった為、仕事を覚えたての自分でも商売を軌道に乗せることが出来て運が良かった」とおっしゃっていました。

そして、西村さんは平成8年に伝統工芸士になられました。伝統工芸士とは、伝統的技術・技法に熟練した職人の中から、厳しい認定試験に合格した人のみが認定される称号です。しかし西村さんはそれについて、「撚糸の仕事には伝統工芸士という肩書は関係ない。織屋さんに技術を買ってもらい仕事を依頼してもらえるかということが重要なのだ」と言っておられ、職人としての意識の高さを感じました。

西村さんが撚糸業を始められた頃は、組合に400軒ほどあった同業者は、今では40軒ほどになり、さらに昔ながらの機械を使って撚糸業をされているのは、組合で西村撚糸1軒のみになってしまいました。それゆえ、今使っている機械が壊れてもそれを作っている会社自体が無く、もう店を閉めた同業者から部品を貰ったりする必要があるそうです。このように撚糸業が衰退していく理由の一つに、後継者の不足という問題があります。しかし西村さんは、後継者がいれば歓迎だが、後継者を生み出す為にあえて自分から撚糸業を広めるという行動には出たくないとおっしゃっていました。その理由は、「撚糸業の需要は年々減少しており、もう産業としては大きくならないと思うし、大きくする気もないから、そしてまた、若い世代は皆、華のある仕事を求めるが、撚糸は本当に単純な仕事なので、よほど興味とやる気がないと続けられないから」とおっしゃっていました。世の中で、伝統工芸が失われないように人々の関心を高めようという動きが強い中での、この言葉は意外でした。しかしその言葉には、長年撚糸に携わってこられた西村さんだからこその思いがあるように感じました。

最後に西村さんに若者へのメッセージを伺うと、「やろうと思ったことを、やり抜くことだ」とおっしゃいました。人は楽な方へと流れてしまいがちで、壁にぶつかるとそこから逃げ出してしまいたくなります。それゆえ、やろうと思ったことをやり抜くことは容易ではなく、逆境にも負けない強い意志と熱意が無ければ出来ないと思います。西村さんは苦労もされたとお聞きしましたが、そこで諦めて投げ出してしまうのではなく、やろうと思った撚糸の仕事を今なお,やり抜いておられます。そこに西村さんの仕事への信念を感じました。その信念が、西村さんが撚糸をされた糸を通じて、織屋さんに、そして消費者にも伝わっていって欲しいと思います。

(執筆者:高校生インターン 寺園日向)

 

 

 

【他の取材スタッフの感想】

 

失礼ながら、私はなぜ伝統を継承していく担い手が現状維持を目指すのだろうと思っておりました。日本の伝統産業が脚光を浴びる中、その軌道に乗ろうとする動きが少ないと感じていたためです。しかし、これは情緒的な問題でなく体制的な問題が含まれており、構造をしらないことには問題解決のアプローチが出来ないことを気づかされました。

機械の音、木の香り、あれらは戦後日本の怒涛の成長をどこか感じさせてくれます。同時に当然に残していくべきものだと訴えかけてきます。お父様から頂いたという暖簾、すてきでした。是非、これからも守り続けてください。私も我が事として考えていくべき課題だと自覚しました。(藤田)

 

戦時中の軍事工場への動員と聞くと、過酷な状況の下で働かされていた、という悲惨なイメージが強かったので、動員先の工場長から科学の面白さを学んだというお話は意外でした。とはいえ、桑畑が食糧生産のために芋畑になれば絹糸は作れなくなってしまう、ともおっしゃっていたので、やはり戦争は人々の生活を大きく変えてしまうのだと改めて感じました。「生糸には機嫌がある」、「糸が人を見ている」というお言葉は、理屈では説明できない西村さんの職人としてのこだわりがあってこそのものであり、織物業を取り巻く現状は厳しいですが、このこだわりが次の世代へ受け継がれていってほしいと思います。     (西田)

 私にとって仕事場の雰囲気がとても斬新であり異空間にいるかのようであった。時の流れが西村さんの背中を後押ししたというお話が私の心に刻みこまれた。(達城)

 

普段の生活では触れることのできない京都の伝統産業を肌で感じることができ、貴重な体験ができた。戦後の不遇な時代が味方し、現代の豊かな社会が敵になっていたことがとても印象的だった。                              (シチズンシップ共育企画大学生スタッフ 石田)

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