協会からのお知らせ


インタビュー1「小原 里佳さん」

更新日:2012年10月01日(月)

きょうと若者アーカイブ ロングインタビュー 「小原 里佳さん」

きょうと若者アーカイブには57名の、若者のリアルな思いや感じたことが詰まっています。このロングインタビューでは、その1人に着目してなぜ支援活動に参加したのか、活動をどう感じたのか、若者が動画のコメントに至った経緯と思いを深く掘り下げていきます。

今回のゲストは小原里佳さん。
彼女は、学生による復興支援を行うYouth for 3.11の「若さと寝袋」プロジェクトにて、2011年の9月に現地の支援活動に参加し、現地の復興支援に関わり、今年の5月にも同じく石巻を訪れている。3月11日の震災から彼女はどんな思いで震災を見て、関わり、そして何を感じたのか。

 

「そもそもボランティアにイメージがなかった」

—活動のきっかけは?

震災が起こるちょうど1週間前に自動車の合宿免許で訪れたのが、偶然山形県の天童市の近くだったんです。本当に偶然で、合宿免許なので訪れたことのない場所で取ろうと思って選んだのが天童市の近く。教習所のおっちゃんたちがおもしろくて、よくしてもらいました。その1週間後に震災。何かの因縁(つながり)を感じました。

—その思いからボランティアに参加するまでは?

そもそもボランティアにイメージがありませんでした。空き缶拾いとかのイメージしかなくて、ただ被災地で何かしたいと思っていて、そこで出会ったのがYouth for 3.11でした。

— Youth for 3.11は自分で探して見つけた?

先輩が大学でチラシを撒いていたからですね。現地に行くあてがないままに1人で行くのは不安だったので、先輩からYouth for 3.11という安く現地に震災支援に行ける仕組みがあって、どんな活動をしたのか聞けたのは大きかったです。

—親の反対はあった?

現在大学3回生なんですけど、親の反対はありました。原発のこと、できたら行かないで欲しいと言われました。でもそんな事を言ったらそこに住んでいる人たちはどうなんだと。ただ自分でも不安な部分があって、はじめは福島に行きたいと考えていたんですけど、選んだのは石巻でした。

ただし、2回目(2012年5月)にボランティアに行くときは反対せず送り出してくれました。親にボランティアに対してのイメージがなかったのかもしれませんね。

—ボランティアの時期と内容は

今まで現地には2回行っていてどちらも1週間ほど。1回目は2011年の9月。大きなガレキの撤去は済んでいた時期だったので、地区の側溝にたまったヘドロをさらう活動でした。

–––やってみてどうだった?

活動が肉体労働で、少ししか進みませんでしたけど、やりがいがありました。近所の人たちに「変わった。きれいになった」と言ってもらえて、やったことがよかったんだと実感できました。

–––2回目もボランティアに行った理由は?

2回目は2012年の5月、石巻の海鞘(ほや)養殖業の再開のお手伝いでした。

自分が関わった石巻が約半年でどうなったのか気になって。学校休んでも行きたいと思ってました。そこで養殖業に関わるおっちゃんたちによくしてもらいました。

–––友達や周りの人は現地に行っていたの?

自分だけですね。友達も、ボランティアまでなかなか一歩踏み出さない。私が何も考えずに行ったふしはありますけど、行っていない人が圧倒的ですね。そんなことを感じているので1回目以降Youth for 3.11の内部に関わって今度は逆に若者を送り出す側になりました。

「2年後の海鞘を見たい」

–––行ってよかったと思う?

語弊はあるけど、活動に参加した1週間はとても楽しかった。

–––どんなところが?

大学では会えない仲間に出会えました。それはフットワークの軽い人たち。活動した夜に、将来のことや夢を語りました。言うことがでかい人が多かったです。そう言った夢や将来のことを語り合えることが楽しかった。

–––どんな夢?

海の家で働くとか、沖縄でアグー豚を飼うとか、世界一周、バックパッカーなど実現できそうに聞こえないけど、そういう道があるってことを考えるきっかけになった。

–––それは大学の友達ではできなかったこと?

大学の友達は話がリアルすぎるから言えない雰囲気ですね。まじめな子が多いから、話がぶっ飛ばない。

–––津波の被害を見てきた?

石巻なので津波の被害が大きい場所。半壊の家屋、船の乗っているビル、生存者確認のしるしは衝撃的だった。がれきの山が処理されていなくて、そこで火事が起こっている。石巻の製紙工場が9月の時点では動いていなかったけど、2回目に行ったときは動いていてちょっと感動した。

–––送り出す側になったことで変わったことは?

親の反対の理由と同じですけど、送り出すなかで原発の影響が全くないことは保証できない。そのことにどう責任を持つのか、そのジレンマは送り出す側になって今でも悩みますね。それでも現地の人がボランティアを必要としているなら、人を送り続けることが必要だと思っています。

–––大学卒業後に行くことは考える?

2年後の海鞘を見たい。海鞘の養殖は再開しても取るためには2年かかるので、震災で被害が元通りになるまでには2年のロスがある。その2年後、石巻の海鞘の養殖がどう立ち直ったのかは見てみたい。現地には行き続けたいと思っています。美味しい海鞘を食べたい。復興の変化を見ていきたい。

「もっと現地に行って欲しい」

–––もともとボランティアに興味はなかったわけだけど、大学生活で考えていたことは?

1回生の時はサークルに所属していたが、2回生になると辞めてしまった。1回生を無駄に過ごしてしまった感があって、それとは別に大学に入る前に海外に行きたいとも思っていたけど、実行しないまま2回生に。「何しよう、何しよう」と思ってた。そして震災。予定とは違ったけどボランティアを始めたから出会った人がいる。今はYouth for 3.11で活動してる。だから行ってよかった。そんなこの活動も先輩がチラシを配ってくれたから参加できた。

–––そういった思いが、動画のコメントに出ているのかな?

そうですね。もっとボランティアを身近にしたいっていう思いがあります。ボランティアは大げさなことに思われているが、思ったよりたいしたことではないし、そういったボランティアに対する壁を低くしたい。

学生こそボランティアで行くべきたと思う。時間も体力もある、考える時間がある。私も何か活動したいとは思っていたけれど、実際何もしていなかった。大学でチラシをもらわなかったらYouth for 3.11に出会えてなかった。今送り出す側になってもこの状況は変わらない。個別に大学生と話してやっと「こんなに安く行けるんだ」って気づいてもらえる。大学生ならこのチャンスを活かす手はないし、Youth for 3.11のことをもっと多くの大学生に知ってもらいたい。私みたいにYouth for 3.11を知ったら行くっていう人はきっと多いんです。そのためにいろんな大学にいってポスターを貼りたいし、自分がいろんな人や他大学とのつながりを広めて行きたい。

–––今後は?

Youth for 3.11をもっと広めて、現地に行く大学生を増やしたい。こんなにハードルを低く現地に行かしてもらえるのは大学生だけなので、もっと現地に行って欲しい。

 

「Youth for 3.11」

東日本大震災の復興支援活動を行う日本最大規模の学生団体。現地において震災支援活動を行う傍ら「若さと寝袋プロジェクト」など、若者が安く震災支援活動に参加できる支援プログラムを行っている。

http://www.youthfor311.com/


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